2003年9月30日
10月1日からvodafone。ということで、今日がJ-PHONEブランドの最後の日、ということになります。
C堂さんが素敵すぎるステッカーを作ってたり、「J-PHONE」ファンはそういう感じで無念の日を迎えようとしています(私もそんな一人。え?とっくにauに乗り換えてるだろって?そういう問題ではない!)
「J-PHONE」ファンほど「vodafone」が嫌いな人はいないと思う今日この頃。そんなわけで、最後の日にお届けするのは「J-PHONE」ファンによる(ひいきの引き倒し的)「J-PHONE」の歴史!心して読め!
「J-PHONE」ブランドは、デジタルツーカー四国のサービスインにより1.5GHz帯の携帯電話サービスの全国展開ができあがったのを機に、当時の東京デジタルホンが新ブランドとして1997年2月に導入したのが原点です。同年10月には、デジタルホングループの東海・関西も「J-PHONE」ブランドを導入しました。
「J-PHONE」ブランドの導入の背景には、「デジタルホン」ブランドが落ちるところまで落ちてしまっていたというのもあるのですが、新ブランドの導入と同時にデジタルホングループはサービスの増強を図ることになります。加入者の多さにゆえに通話品質が低下していたドコモに対抗してアンテナの徹底的な増設を行い、さらにフルレートでの高品質通話をアピール。これは「ツナガル。シカモ、イイ音デ」のコピーに代表されますね。そのほかにも魅力的なサービスを投入することによって最下位クラスのキャリアがトップ集団であるドコモやIDO/セルラーに急速に肉薄していくことになります。
「J-PHONE」の人気を決定付けたのは高機能ショートメッセージサービス「Sky Walker」の開始です。1997年11月に始まったこのサービスは、ショートメッセージの導入という点では最後発であったものの、それを補って十分な機能を備えていました。当時のショートメッセージサービスにしては長いほうである全角64文字対応、オプションでEメールに対応するなど、そのサービス基盤は現在のサービスにも十分に生かされている、というのが進歩の早いこの業界ではなかなか面白い点ではないかと。
また、文字情報サービス「SkyWeb」も1998年12月にスタートしています。ニュースや天気といった情報を電話機で見ることができるサービスで、端末によってはメニュー表示にも対応していました。「i-mode」よりも早く始まったサービスで、実はHTMLの閲覧にも対応していたのですが(文字のみ)、実際にインターネットにつながったのは後述の「J-スカイ」サービスと同時だったというのが悔やまれます。
ツーカーグループの再編に伴って、1999年10月に「J-PHONE」ブランドを全国化。デジタルツーカーのエリアも「J-PHONE」ブランドに統一します。社名もこの時点で「J-フォン」になりました。直後の12月に「J-スカイ」サービスを開始します(確か、始まった直後までは「J-SKY」のマークもなく、スカイウェブ新サービス、とか言ってた記憶が)。
携帯電話機の面で言えば、この「J-スカイ」サービスの開始が大きな転機となっています。それまでのJ-フォンといえば、音質のよいKENWOODや「まめぞう」で人気のあったDENSOといったところが人気でした。藤原紀香がCMで使用していた「DP-134」や、ユニークなデザインの「J-DN01」などがその代表でしょうか。変わりどころではNOKIA製の「DP-154EX」、全面液晶でインパクトのあったパイオニア製端末などが挙げられるでしょう。(そのあたりはケータイ博物館あたりを見ると面白いかと。)
それが、「J-スカイ」サービスを機に、SHARP端末一辺倒になります。ちょうどその頃から携帯電話業界全体も電話機の高機能化に進んでいきます。その過程で、DENSOやKENWOODといった「無線機」の会社が姿を消していき、SHARPやNEC,東芝といった、どちらかといえば「デバイス」や「コンピュータ」に強いメーカーが台頭していくことになります。この流れは「J-SKY」以前の「J-PHONE」を知る身にとっては残念でなりません。
さて、2000年10月に「ステーション」というサービスが始まります。このサービス、力を入れた割には全然流行りませんでした(笑)。しかし、この「ステーション」に対応した端末には非常に重要な布石が隠されていました。というのは、「ステーション」対応端末からは「J-スカイ」の仕様が変更となり、利用可能な画像形式にこれまでのPNGに加えてJPEGが加わったのです。
「ステーション」サービス開始の直後に誕生したカメラつき携帯電話は、当時流行していた「携帯電話+α」端末の一つと見られていました(同時期は、SONYからMSウォークマン機能つき携帯電話がリリースされていました)。しかし、カメラつき携帯電話は実は新しいコミュニケーション手段を提供していた、というのが他と異なる点でした。しかも、先の仕様変更により、カメラのない端末は「送られた写真を見ることができる。が、こっちから写真を送ることができない」という欲求不満的な状況を生じさせ、さらに「写メール」というネーミングを与えることによって、たちまちカメラつき携帯電話が主流になっていった、というのは記憶に新しいところかと。
2001年末には、「写メール」ブームの勢いに乗ってパケット通信対応端末を発表しますが、このあたりから雲行きが怪しくなります。まず、実際に端末がリリースされたのがよく2002年の3月。さらに従来の端末に比べて割高な料金設定や、「ロングメール」に代わる「スーパーメール」の受信料が有料であった(当時は受信料無料を大きく謳っていた)ことなどが従来のユーザーの反発を買い、通信容量の拡大や「ムービー写メール」などの新サービスの魅力が吹っ飛んでしまいました。
そんな感じで「外資っぽさ」がユーザー不信を招きつつ、あれよあれよという間に「vodafone」ブランドに移行することが決定。メールアドレスまで変更して、「J-PHONE」ファンにとっては「そりゃないよ」という事態に・・・。そして、明日10月1日を迎えるわけです。
そんな感じで、「J-PHONE」の歴史をおおまかに振り返ってみました。こんだけ書けるのは「J-PHONE」に愛着があったからこそです!
第3世代携帯電話の普及の遅れを考えると、またJ-PHONEの3G展開の遅さを考えると、「写メール」が1年遅く生まれてたらまた違った展開になったかもしれない、とか考えることもあります。逆に「写メール」があったからこそ3Gが主流になりつつある現在でもどうにか加入者を維持できている、ともいえます。
いずれにせよ、会社の再編の繰り返し、vodafoneによる買収に関連したゴタゴタ(さらには愛着ある「J-PHONE」ブランドまで取られたわけですから!)は、ユーザーに歓迎されたものではないのです。ですが、もう会社の変化というものはありえないでしょう。逆に言えばJ-PHONE/vodafoneにはもう「会社再編」という言い訳は通用しないのです。vodafone色(=赤?!)が強くなってから、「J-PHONE」にユーザーを引きつけていた魅力がどんどん薄まっていったのは確か。真っ赤に染まる今、もう昔の「J-PHONE」には戻ってくれないのでしょう。
それでも新生「vodafone」に期待してるJ-PHONEユーザーもいるわけです。彼らに対してどう応えていくか、それは同時に「もうおなかいっぱい」になってしまった携帯電話業界の進むべき道筋と同じかもしれません。
ということで、「J-PHONE」ひいきの引き倒しテキストはおしまい!
携帯電話を楽しくしてくれた「J-PHONE」にリスペクト!
上記にある、「素敵すぎるステッカー」について要望があるのですが、このステッカーを今回拝見させて頂いて、どうにか入手したいと考えております。つきましては、このステッカーをもしそちら側で用意など出来、入手出来る状態にできるならば頂戴したく存じます。どうにかご協力願いませんでしょうか?
おおっと!大事な返信を忘れてました!
その前に現在のアドレスはこちら
http://park10.wakwak.com/~cik/jphone.htm
んで、直接製作者のC堂さんに聞いたところ、「画像ファイルとして作っただけで、実際にステッカーを作ったわけではないです」とのこと。
そういうことで、ご了承ください。
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